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長所を認めてくださった幼稚園の先生
我が家では年中から、長期休みの度に普段通っている幼稚園とは別に課外活動をするために「森のようちえん」に行っていました。うちの子はとにかくマイペースで、集団行動が苦手で、空気を読めずにいたので、それはそれは心配していました。平日に市役所の保健師の方に相談に行っていたくらいでした。年長組になる前の春休みの頃、森のようちえんのプログラムで、湖に近い森の中で散策をしていたときのことです。この日は親子で登園していて、森のようちえんの先生ともお話する機会がありました。森の池に着いたときにふとT先生に「実は、子どものことで悩んでいまして。」と打ち明けてみました。T先生は「そうなんですか。でもMちゃん、いいところいっぱいありますよ。」とおっしゃってくださいました。ちょうどうちの子が年下の子ども達を誘って、池の中にドボンと入ってしまったところでした。「楽しいことをとことん楽しもうとするところ。年下の子に優しくできるところ。お母さん、Mちゃんのよいところを伸ばせばいいじゃないですか。」と笑顔で答えてくださいました。今の今まで、自分の子どもの足りないところにばかり目がいっていたのに、その言葉でスッと胸が救われるような気持ちになりました。その日は、池にはまってずぶ濡れになった我が子を怒ることなく、着替えさせることができました。T先生の優しい眼差しには感謝しきれません。
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季節の行事を保育士さんと楽しめて良かった
私が行っていた保育園では様々な行事があり、40年経った今でも保育士さんといっしょに楽しんだことが思い出に残っています。例えば、お泊り保育をみんなでした時は、保育士さんが絵本を読んだり子守唄を歌ってくれたからぐっすり眠れました。私が特に楽しみにしていたのは夏祭りで、浴衣を着た園児と保育士さんがいっしょに盆踊りをしました。きれいな浴衣姿の保育士さんがとても素敵でした。入園式の時に緊張しなかったのは、優しく語りかけてくれた保育士さんのおかげだと思っています。こどもの日は保育士さんに指導してもらいながら新聞紙で兜を作ったり、小さな鯉のぼりを持って走り回ったりしました。物を作る面白さを覚えたのが保育園の時だったと記憶しています。保育士さんに連れられて近くの広い公園まで遠足に行ったのですが、道路を渡る時に危険がないかを常に注意してくれたので安心でした。用心深い保育士さんさんがいなかったら問題が起きていたかもしれないから感謝しています。保育士さんがサンタクロースになってクリスマス会を開いてくれたのが嬉しかったことです。保育士さんはお菓子を配ってくれたのですがとても美味しかったです。1月はもちつき大会をやって出来たばかりの熱々のお餅を保育士さんと食べました。保育士さんがきな粉にまぶして作ってくれたおやつのお餅は最高の味で何個もほおばってしまいました。
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幼稚園からの呼び出し
長男は幼稚園の年中さんの時、多動で癇癪もひどくお友達にもよく手をあげていたいわゆる問題児でした。一番悩まされたのは癇癪で、母親の私に対しては特にひどく、気持ちの切り替えが出来ない時、頻繁に感情を爆発させ私に対して泣き叫び、殴る蹴るを繰り返していました。毎朝登園させる時行きたくないと泣き叫び、そして園から帰る時、園の門が閉まっても息子一人だけ園庭の真ん中や駐輪場で泣き叫び帰るのを拒否する…そんな日々を送っていました。ある日、幼稚園の副園長先生から電話で呼び出しがありました。度重なる息子の問題行動について咎められると思い気を重くしながら渋々園へ足を運びましたが、思いもよらない言葉をかけられました。「お母さんよくがんばっていますね」その言葉を聞いた途端、私は涙があふれだしました。自分でも知らず知らずのうちに息子の事をため込んでいた事にその時初めて気づきました。「他のお母さんの目も気になりますよね」「お母さんのメンタルは大丈夫ですか?」母親の私を労わる言葉をたくさんかけて頂き、一人じゃないんだとすごく安心したのを覚えています。具体的な対応策も提案していただき、専門機関のサポートもあり息子は今ではすっかり落ち着いた小学生になりました。きっと副園長先生への感謝の気持ちは一生忘れないと思います。
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お世話になった先生との別れと再会
私は幼少時代を海外で過ごし、幼稚園の年長で日本に帰国しました。言葉もまた覚えたてて、日本の文化にもまだ馴染めなかったのですが、早く馴染めるようにと地元の普通の幼稚園へと通うことになりました。ドキドキしながら初めて登園した日のことは記憶に鮮明です。優しい女性のK先生が待っていてくれて「Aちゃん、先生と一緒に遊ぼうね」と手をとってくれ、その手がとても暖かくて安心したのを覚えています。日本語があまりわからない私は、本来はおしゃべりなのに、とにかくおとなしかったようで、先生はとても気にかけてくれていました。そんなある日、先生が妊娠して、幼稚園を辞めることに・・・赤ちゃんが先生にできたことは嬉しかったけど、いなくなっちゃうんだ〜ととても悲しかった。まだ幼いから、そんな気持ちを伝えることができずに、お別れの会でも先生の顔を見られずに、話しかけられても無言だった私・・・・先生は気持ちを察してくれたのか頭をなでなでして、「また会いに来るからね」とお別れしました。やがて日本語もぐんぐん上達して、小学校へ上がる頃には本来の陽キャラ全開になり、おとなしかった私はどこへやら・・・ある日、運動会で演技を終えて戻ると、母親の隣で号泣してこちらを見ている人が。。。よく見るとK先生でした!「Aちゃん!」と名前を呼ばれて私も一気に幼稚園児に逆戻り。無意識に「先生お別れ会の時、ありがとうと言えなくてごめんね!」涙と共に口からこの言葉が。先生は「わかっていたよ、そんなこと」と優しく抱きしめてくれました。今でも先生とはハガキでやりとりしています。
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些細な褒め言葉の力
もう40年以上も前の話です。その頃、私は幼稚園の年少でした。私の母はPTAの役員をしていて、幼稚園の終わりに、教室に残って打ち合わせをしたり、何かの作業をすることが多いため、私も幼稚園に残り、絵本を読んだり、積み木で遊んだりして時間を潰していました。ある時、教室に数人集まって作業をしていた先生の一人に隣の教室からハサミを持ってくるように頼まれました。暇をもてあましていた私は元気に返事をして、ハサミを取りに行きました。先生の机の上から大きなハサミを手に取った私は、すぐに隣の教室に戻り、先生にハサミを差し出しました。その時、私は特に何も考えずに、刃を持ち、刃先を自分側に向けて差し出したのです。それを見た、先生が「●●くん。えらい! ちゃんとハサミの渡し方知ってるんだね。かっこいい! そうだよね。刃を人に向けたら危ないもんね」と、満面の笑顔で言ってくれたのです。普段は少し怖い先生だったので、その先生に褒められたことがとても嬉しく、それ以降、どんな場面でもハサミを渡す時には刃先を持つようにしながら、いつもその先生から褒められた言葉を思い出すのです。幼稚園の先生ですから、子どものいいところを見つけて褒めることが当たり前なのかもしれません。それでも、どんな些細なことでも褒められた方は一生忘れないこともあるのです。
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保育園を抜け出して先生に見つけられた話
私が保育園児だったのは今から40年くらい前です。ですが、この事だけは忘れずに覚えている良い思い出があります。私はなぜかあまり保育園が好きになれず、いつも行きたがらなかったり、酷い時は保育園を黙って抜け出してしまうようなこともありました。3回ほど保育園を抜け出していたのですが、その都度私の行き先は決まっていてなぜか近くの牛小屋でした。動物が昔から好きだったというのもあると思いますが、牛の鳴き声をいつも保育園から聞いていたので気になっていたのだと思います。いきなりいなくなった私の事を当時30代前半くらいの若い保母さんが探しに来てくれて、毎回負ぶって帰ってくれるのです。私が保母さんに「帰ろー」と言われてもぐずって泣いたためだと思いますが、大好きな保母さんに私だけおぶって帰ってもらえるのがとても嬉しかったことを覚えています。今思うと単に私だけが保育園を抜け出していたからなのですが(笑)。卒園までに3回も抜け出して牛小屋に行きましたが、保母さんがおぶって帰ってくれるだけでなく、時にはお菓子を持って来てくれることもありこれも嬉しかったです。保母さんには変な子で本当にご迷惑をかけたと思いますが、私にとっては忘れられない素敵な思い出です。
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保育園の先生からの嬉しい報告
とても活発な我が子。虫を掴んで食べようとするわ、猫なんか見つければ大騒ぎでおいかけまわすのです。保育園に入園するときも全く物怖じしないどころか、最初から自分の家であるかのような振る舞いをするのです。お友達と上手く付き合えるかな、仲良くできるかな?という心配は、「お友達に怪我などさせないかな」という方向の心配でした。実際に通い始めてすぐにお友達もできたみたいで、いつも「いつも元気ですよ」と先生からのコメント。怪我だけはしないでね、お友達に怪我もさせないでねと、いつも言い聞かせます。保育園にもだいぶ慣れてきたかな、というある日のこと、いつものようにお迎えに行ったら先生から思いもよらないお話しがあったのです。喧嘩をしているお友達同士の間に入ったり、泣いているお友達に「どうしたの?」と声をかけたり、そしてなにより驚いたのは「怪我だけはしたらダメなんだよ?」とお友達みんなに対して我が子がしきりに伝えているというのです。先生からは「みんなも彼の話をよく聞くんですよ、私よりも説得力があるみたい」とのことで、保育園に入園してわかることもあるものなんだな、と親としてはとても嬉しく思いました。そろそろ虫を口に運ぶのもやめてくれるようになるといいな。
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卒園してからも手紙をくれる幼稚園の先生
私が通っていた幼稚園は、1学年1、2クラスの園でした。おそらく先生方は担任でなくても、園児のほとんどを把握しており、いつも明るく温かく見守ってくれていたなと記憶しています。私は特に悩みや問題なく、その幼稚園を卒園しました。小学生になって、幼いころから母親によく本を買い与えられていた私は、自分から図書館に通い、よく本を読むようになりました。ある日私の母が幼稚園に妹を迎えに行った際、私が最近本が好きであることを、何気なく先生に話したそうです。すると後日、その先生が私宛の手紙を母に渡して下さったのです。手紙にはきれいな字で、私がよく本を読んでいると聞いて嬉しいこと、「サンタクロースっているんでしょうか」という本をおすすめしたいということが書かれていました。おすすめされた本は、大人になった今でも読みたくなるお話ですが、当時の私が読んでも、子供ながらに素敵だなと思える本でした。手紙を下さった先生が私の担任だったのは、年少の1年間だけです。素晴らしい本を紹介されたことも嬉しかったですが、たくさんの園児の中の1人である私を、卒園後も気にかけて下さり、丁寧に手紙を書いて下さったことに、心が温かくなりました。現在、私は地元を離れており、さすがにその先生ももう園で働いていらっしゃらないかもしれませんが、忘れられない思い出です。
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楽しかった保育園行事
私が通っていた保育園では何かしら行事や催し物が沢山ありました。特に楽しかったのが何個かありますが、一つは毎年行われるお泊り保育です。園児にとってお泊りはとっても特別。一日中友達や先生と過ごせるなんて夢のようでした。夜の海に行って叫んでみたり、夜のプールに入りながら花火をみたり、みんなで作ったフルーツポンチに炭酸を注ぐことでさえ興奮していた記憶があります。夕食で初めて食べたステーキには感動しました。普段遊び場として利用してるホールにみんなで雑魚寝。これもとてもいい思い出の一つです。行事と言えば、私の保育所では面白い催しがありました。毎年恒例、先生方がセーラームーンの衣装を着て行うライブイベントです。当時はセーラームーンが大人気だったのでとても嬉しかったです。ですが、一つトラウマになった出来事もありました。主人公のうさぎ役の先生が骨折してギプスをつけて登場した回です。骨折した人を見ることが初めてだったので、怖かった記憶があります。衝撃でした。子どもの頃ってすべてが初体験の連続で見たり聞いたことは本当刺激になります。何個か思い出はありますが、自分が将来こうなりたいと夢を決めた行事もありました。なんてことない、料理の時間です。一番好きだったのはビスケットケーキ。牛乳に浸して生クリームをつけたビスケットをリング状に重ねていくのですが、なんでなのか楽しくて将来パティシエになりたいと思った瞬間でした。子どもの頃、特に保育園での人や物との触れ合いや体験は大人になる過程で必要な経験なのかもしれません。そう、実感しました。
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あの幼稚園の先生との出会いが全ての始まりでした。
私は事情があって、兄の子供、つまり、甥を母親代わりとして育てていた事がありました。甥が1歳から小学校に入るまでの約6年間です。父親である兄は健在でしたが、片親という事もあり、私は甥に私が与えれあげられるのは、愛情とあと教育であると思っていて、幼稚園からお受験して私立に通わせていました。勿論、私の両親の経済的援助がってからこそできた事ですが。小学校受験に対応していた幼稚園でしたので、年少の時にすでにIQテストが行われました。その時、担任の先生に、お迎えの時に個人的に呼ばれました。先日の甥のIQテストの結果についてでした。先生は、甥はこの地域のみならず、全国的に見ても、かなり高いIQの数値なので、これは個人的にですが、子供教室に通わせるなりして、才能を伸ばしてあげて欲しいと言われました。私は家に帰って両親に相談して、早速、いくつかの子供教室に見学に行き、当時まだ3歳ではありましたが、彼自身に行きたい子供教室を選ばせました。そこでも、IQテストが行われ、子供教室では結果の数値も教えてもらえました。それから私は甥の小学校受験を成功させ、イギリスへ留学しました。しかし、その幼少期の判断が間違えていなかった証拠に、甥は、その後も、有名進学校へ中学から進み、大学も難関大学の法学部に合格。司法試験にも合格して弁護士になりました。甥は、私が幼少期に下した決断には感謝していると未だに言ってくれますが、私自身はあの時の、年少組の時の担任の先生に未だに感謝しています。もし、先生が個人的にそういった話をしてくれてなかったら、色んな決断を早期にできてなかったと思いますし、甥の才能をちゃんと意識して伸ばしてあげれていたのかも分からなかったからです。甥はもう30代半ばですが、私はあの幼稚園の年少組の先生の顔は今もしっかり覚えています。私は甥の親ではありませんが、未だに、私はあの先生に心の中で感謝しています。甥の現在があるのは、先生の助言のおかげだと。先生も今、幸せに暮らしていらっしゃられるよう、願っています。