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幼稚園の先生に随分助けられました。
私の子供は幼稚園にプレの学年から入園しました。おむつもなかなかプレの時には外れなくて周りにはすでにパンツの子も多く、うちも早く外さなきゃとすごく焦っていました。家ではまめに私がトイレに連れて行くことが多かったため家のトイレでは何度か成功していたのですが幼稚園では皆でトイレに行く時間はあってもその時にちゃんと行かなかったり自分から「トイレに行きたい」とも言わないため大体おむつにしてしまってたので当時とても悩みました。入園後、年少さんはおむつではなくパンツで登園してもらいますと先生に言われてどうしよう、と途方に暮れていました。先生に相談すると「焦らなくても大丈夫ですよ」とか「年少さんは皆最初失敗するものなので気にしなくていいですよ」と優しく励ましてくれました。先生の言葉に少し安心しつつ、それでもやはり練習させないとなと思い、トレーニングは続けました。家では時々成功するものの外ではまだ失敗の方が多く、不安なまま入園しました。入園してしばらくはやはり園で失敗することが多く、毎日汚れたパンツを持って帰っていました。先生もトイレのことを気にかけてくれていたようで他の子よりも声かけを増やすなど子に合わせた対応をしてくれたおかげか日が経つに連れ、失敗回数は段々減っていき夏休み前には自分から行けるようになりました。親子共々、先生にはとても感謝しています。
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幼稚園の先生の家庭訪問
私が幼稚園に通っていたのはずいぶん前なので、今とは違った幼稚園の在り方だったと思うのですが、園内での楽しかった思い出の中には素敵な先生の記憶もしっかりと残っています。私が通った幼稚園はキリスト教の修道院に付属していて、先生の中には黒いベールをまとったシスターもいらっしゃいました。日々の中で先生とどのような遊びをしたのかまではあまり覚えていないのですが、教室でのお話の時間やお弁当の時の静かで品の有る先生の姿を覚えています。当時は幼稚園でも家庭訪問があり、割と遠方から通っていた私の家まで先生が来てくださいました。路線バスに乗ってこられ、バス停まで迎えに行った私と手をつないで家まで来られました。先生を独り占めできたようで嬉しくてたまらなかった思い出があります。我が家に来られて母親と話をされていた先生がずっといてくれたらいいのにと気持ちが高ぶってしまい、テーブルの周りを走り回って仕舞いにはテーブルのお茶をこぼしてしまいました。母には睨まれましたが、先生はにっこりして「大丈夫よ。」と言ってくれました。帰られるときは寂しかったですが、また幼稚園で会えると思い、手をつないでバス停まで送っていきました。先生の品のあるお顔は、いつになってもはっきりと思い出すことが出来ます。
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10年ぶりに会った先生が自分の名前と顔を覚えてくれていたこと
中学2年生の時に自分の通った保育園に職場体験に行きました。その時に担当してくれた方が自分が4歳、5歳の時にお世話になった保育士の先生で私のことを覚えてくれていたことにとても感動しました。保育園には10年以上行く機会もありませんでした。自分の受け持った生徒は顔を見たらわかるとよく聞きますが本当にそうだと思います。幼少期と比べて顔や体型が変わったと思いますが先生にはあまり関係ないことがその時わかりました。その先生とはスーパー等で1年に数回出会うのでもしかしたらそこで覚えているだけかも知れませんが小さい時に呼ばれていたあだ名で呼んでくれました。私が大好きだった保育士の先生は私が卒園後少し経ってから結婚し保育園は退職したそうです。その頃は恥ずかしくて会いに行きませんでしたが今覚えば会いに行っておめでとうと言葉をかければよかったと思っています。大好きだった先生や私の顔と名前を覚えてくれていた先生とまた出会えてとっても嬉しかったです。また保育園も自分がいた時より綺麗になっていて羨ましい反面寂しくも感じました。「小さかったのに大きくなったね、学校楽しい?」とあの時聞いてくれた先生は今でも忘れないとても大好きな先生です。
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子供の目線になって考えるという幼稚園の先生の仕事
私の通っていた幼稚園はとても自然豊かな場所にありました。近くには小さいながらも澄んだ川が流れ、また幼稚園のすぐそばには竹林や虫の多い森もありました。代わりにお店は昔ながらの小さなものしかなく便利ではありませんでしたが、温かみのある人も多かったように思います。そして、私を担当していた幼稚園の先生もその一人でした。若い女性の先生で、今考えると働き出してから5年くらいのものだっただろうと思いますが、忙しく働きつつもいつも子供目線でものを考えるのを忘れない人でした。私が森の近くで遊んでいて大事なおもちゃを落としてしまった時には、暗くなるまで一緒に探してくれたことを今でも覚えています。それは安いお菓子のオマケで大人から見ると大したものではありませんでしたが、当時子供だった自分からすれば宝物。そしてそれを感じ取った先生は、やぶや茂みが多く探すのが大変な中、虫に刺されながらも、泥で汚れながらもずっと探してくれたのです。それは結局見つかることはありませんでしたし、おもちゃを失ったことは悲しかったですが、同じくおもちゃを探してくれた子供たちが疲れたり飽きたりして帰っていく中、最後まで協力してくれたのは嬉しかったです。また、忙しくとも人の気持ちを忘れないということは、私の中で今でも教訓として生きています。
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幼稚園の先生に気づかされた子供の長所
私の子供は人見知りが激しく、人前で何かをすることが苦手なタイプです。私自身も似たような性格で、子供の頃から目立たないタイプの人間でした。子供の友達は、はきはきと明るく率先して人前に出ていくタイプの子が多く、子供らしいそんな姿を見て、心のどこかで自分の子供と比べ、羨ましく思ってしまう自分がいました。それと同時に自分が子供のころの姿と重なってしまい、私の性格がこんなだから、子供も似た性格になってしまった、と自分自身しんどくなってしまうこともありました。そこで、幼稚園の個人懇談会の時に先生に相談してみました。「これからの時代うちの子のような性格では心配だ」というような内容のことを相談すると先生は、「最近は幼稚園でも自分が一番になりたがる、人より前にでたがる子供が多くなってきています。それは悪いことではないのですが、みんなが同じようにリーダーになったのでは、回っていかないです。~君は人の気持ちを考えられる優しい子供です。そういう子がいるおかげで、クラスはまとまっているんです。」とおっしゃってくれました。その言葉で自分の子供の良いところを見失っていたことに気が付きました。そして先生はきちんとわかってくれている、見てくれているんだと思うと、すごくうれしく安心しました。
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可愛い先生のおかげで娘が女の子らしく成長!
娘は今4歳年中組、20代の若くて可愛く優しい先生に出会いました。娘は7歳のお兄ちゃんと二人兄妹で、家ではお兄ちゃんの遊びに合わせてブロックやゲームで遊ぶため女の子らしいごっこ遊びやプリンセスになりきったりすることもほとんどありませんでした。いつも元気で天真爛漫な娘ですがもう少し女の子らしさを身に付けてほしいと願っていました。そんな中、年中クラスで日々を過ごす中、最近お友達とおままごと、プリンセスごっこをして遊ぶのがブームになってきたようで徐々に家でも日常のしぐさが変わってきました。先生が一緒に遊んでくれてセリフやダンスも教えてくれるようです。先日、発表会があり、とても可愛いプリンセスのドレスを着させてもらって舞台で踊りを発表しました。娘は一番背が小さいのですが、センターで堂々と踊っていました。振り付けも完璧、沢山先生と練習したようです。先生に話を聞くと、幼稚園ではとっても女の子らしくおしとやかで、可愛いんですよ!ダンスが一番表現力豊かで素敵で、センターにさせてもらいました!ととても嬉しいことを言ってもらえました。キラキラと輝いていましたね!と誉め言葉をたくさんもらえて、娘も私もとても嬉しかったです。娘を女の子らしく成長させてくれて、また娘の輝けるところを見つけて伸ばしてくれるとても良い先生に出会えて、きっとずっと心に残る先生になると思います。
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幼稚園の先生との一体感
私立の幼稚園に長女と次女が通っていましたが、何よりも幼稚園で感じたのは先生、幼稚園、そして保護者の一体感です。特に感じたのは運動会やお遊戯会、さらには様々な行事における両親の参加です。例えば運動会であっても、天候不良でコンディションが悪いときにはスポンジで水を吸うことを朝から保護者が一緒に行ったり、お遊戯会であっても会場作りを親が一緒に行うといった参加型で行っていました。もちろんこれを嫌うようなご両親もあったと思いますが私に関しては幼稚園との一体感を感じるためには本当に良かったと思っています。正直なところこのような機会を設けてもらえなければ自分自身の子供たちが接している先生がiToの顔と名前も1つの事はありませんし、幼稚園に行っても本当に数時間しか滞在する事はなかったと思います。このような一体感を生むような取り組みを促してもらったおかげで子供たちも自分たちがどのような先生と過ごしているのかを見てもらえるのも非常に良かったのではないかと思います。なかなか、モンスターペアレントと言う言葉があったり幼稚園側もお付き合いは難しいかもしれませんが、個人的にはこのような触れ合いをもっと大切にしていってほしいと思います。
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保育園の先生に励まされて、人生初の楽しかった餅つき大会の想い出
私の保育園の想い出はさほど多くありません。数少ない保育園の想い出ではありますが、その中の1つに「餅つき大会」があります。保育園児たちが順番で重い杵を握り、臼の中の餠をつくという作業をしていくのですが、私の番が来ると、先生が手をパチン、パチンと叩きながら「ヨイショ」の掛け声にプラスして、「うわー上手だね」「力持ちだね」と言ったねぎらいや褒め言葉を掛けてくれるのがとっても嬉しかったのを今でも忘れられません。きっとそこでの餅つきは、幼い保育園児各々、たったの一搗き、二搗き、しかも力不足という、餅つき作業というには足りない様な、儀式的作業量だったと思います。けれども、その先生の他の園児同様、私への褒め方が。園児の心を掴むような素晴らしさがあったのでしょう。順番を終えた私は、大それたことをしたような誇らしげな気分を味わっていました。想い起せば、その大好きな先生の為に、頑張ってお餅をついたよ、そんな気持ちもあったと思います。そして餅つき大会の後は、つきたてのお餅を先生を含めて皆で、砂糖入りのきな粉で食べました。そのきな粉ですが、ベージュではなくうぐいす色のきな粉でした。大好きな先生と一緒につきたての柔らかいお餅を食べれて本当に幸せでした。
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「パパが泣いてるの見ちゃいました!」保育園の先生が教えてくれた息子&夫のエピソード
我が家は夫が単身赴任をしており、息子が保育園の年少さんのころから母子で暮らしています。夫が帰ってくるのは月2日程度。現在は小学校1年生となり、だいぶしっかりとしてきた息子ですが、保育園の頃は夫との別れ際に泣いてしまうこともありました。ある日、夫が保育園に息子を送り、そのまま単身赴任先に戻るという日がありました。息子は朝から「パパ、保育園帰ってきてもまだいる?」と心配顔。案の定、パパがまたいなくなってしまうということを悟ると、保育園に行く前からウルウルと涙が溜まってきてしまいました。息子は、これまで一度もかんしゃくを起こしたことがなく、わがままも言わない子のため、かえってかわいそうに思いつつ、仕方のないことなので「帰ってきたらママと遊ぼうね!」と保育園に送り出したのでした。……そして夕方となり、私が仕事帰りに迎えに行く時間となりました。夫からは今朝、保育園での別れ際に息子が泣いていたことをLINEで聞いていたため、なるべく早くお迎えに行こうと、会社を急いで出ました。息を切らしながら保育園のクラスのドアを開けると、息子はお友達と談笑中。「ほっ」すっかり気の抜けた私の横に、担任の先生が笑顔でやってきました。「息子さん、朝はパパと別れるのがつらくて泣いちゃっいました。そして…私パパが一緒に泣いてるの見ちゃいました!」「ぷっ!」思わず笑ってしまいました。そして、息子と同じように、夫が息子と離れるのがさみしいと思っているのだなと思うと、なんだかほっこり。先生、あの日、息子&夫のエピソードを教えてくださってありがとう!今では息子は泣かない強い子になりましたよ!
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保育園に馴染めずにいた娘が大好きな先生
私の娘が4歳の頃から通っていた保育園はいわゆるマンモス保育園でとても大きな保育園でした。娘の性格のせいか、中途半端な時期に入園したせいか、娘はなかなか馴染めずにいました。運動会などの行事で見ても参加はしているのですが友達がいるような感じではありませんでした。それでも娘に「今日は保育園楽しかった?」と聞けば、楽しかった、と答えるのでした。先生方もたくさんの子供がいる中で大変なことが分かっているのでなかなかうちの子を輪に入れてやってください、など言えませんでした。私は子供がたくさんいるマンモス保育園が娘に合っていないのかも、と考え転園も考えましたがせっかく入れた保育園だったし、子供も行きたくない、とも言わなかったのでそのままにしておきました。そしてそのまま特別仲のいい友達ができることもなく卒園の年になりました。そんなある日家族とファミリーレストランで食事をしているとき、娘に保育園のことを聞きました。「もうすぐ卒園だけど保育園楽しかった?」娘は「うん。ナデシコ組の時の○○先生が大好きだった」と答えたのです。一年も前の先生の名前が出てきたのです。「〇〇先生大好き」そんな話は初めてで少しびっくりしていました。すると噂をすれば影、とはこのことで、たまたまその先生が私たちのいたレストランに入ってきて、「りかちゃん!偶然だね!」と言って娘を抱っこしてギュッとしてくれたのです。「年長組さんになって頑張っていること、みているよ」と言ってくれました。先生はたくさんの生徒を抱えながらもきちんと一人一人と向き合って、その子供の心に残るような接し方をしてくれているのだな、と感動しました。そして娘は友達を作りたい、という気持ちが芽生えるのが少し遅いだけでいつもしっかり活動に参加していた、いつでも先生たちと相談してください、と先生もおっしゃってくださいました。