-
先生のおかあさんわかるよ!!に救われる日々
子供たちの通う保育園での出来事です。「保育園に行きたくない」という子供に戸惑う親も少なくないはずです。私もその一人で、初めての行事の練習が始まると泣きながら、登園をしぶりました。門の前で泣きじゃくる我が子、しかし泣き始めるのは家を出る前から始まり、ひどい日は前の晩の布団の中から泣く日もあるほどです。行事の練習も無理をさせるわけでもなく、子供のスピードに合わせて見守ってくれ、本人もその時は楽しく活動することもあり、帰る頃には元気いっぱいに遊んでいます。なのに発動される「行きたくない」宣言に親の心も迷います。「休ませたほうがいいのか?」「声掛けの仕方が悪かったのか?」必死に涙を流し、こちらに訴えてくる顔を見ると、こちらの目にも涙が溢れてきます。そんな時に先生が「おかあさんわかるよ」「おかあさんも毎日、泣かれたらつらいよね」と声をかけてくれました。「おかあさん、もっとこう伝えて下さい」ではなく、「おかあさんわかるよ」と共感する言葉に心がすくわれました。そしてその行事が無事に終了した日には、先生が涙を溜めて「おかあさんよかったね。楽しそうに頑張ってましたね。」と伝えてくれました。そして我が子は、その行事が自信となり、泣きながら登園することは格段に減りました。先生の「おかあさんわかるよ」で救われたのは、母親である私でした。
-
節分前から入念に園児に擦り込み作業!
子供が通った幼稚園の先生たちの話です。幼稚園はとても伝統的な行事を行ってくれるところであり、いつも親である私も楽しみにしていました。その中でも一番びっくりしたのが節分です。どんな風にびっくりしたかというと、節分前からの子供たちへの擦り込み作業がとても念入りだったのです。なんの擦り込みだと思いますか?それは鬼が本当にいるんだという恐怖を植え付けるための擦り込み作業です。先生たちは節分の前から、ちょっとずつ鬼の気配を醸し出していきます。例えば下駄箱の近くに泥のついた足跡をつけておく。次の日は、園内にもその足跡を残すなど。本当に大きな鬼のような足跡で親たちも感心するほど。これを見たら子供たちは、本当に鬼がいるんだ!どこにいるんだ!絶対に追い出してやる!と頑張るのです。そして節分当日は、鬼に扮した保護者の中でも一番の大男が登場。洋服も髪の毛もその幼稚園に伝わる代々の鬼衣装。本当に子供たちの顔は引きつり、泣きわめきます。そんな様子は私たちは写真でしか見ることはできませんでしたが、私の子供の3年間は、いつも先生にだっこされて泣いているものばかりでした。鬼の恐怖で腰が砕け歩けない状態で、ただただ涙も鼻水も垂らして先生にしがみついている…そんな幼稚園とのわが子との貴重な思い出が節分です。
-
保育士さんとたくさん遊んだから運動が好きになった
保育士さんと仲良く遊べた子供時代を懐かしく思うことがよくあります。特に印象深かったのが竹馬をいっしょに作ったことです。竹馬で遊んだことは無かったから新鮮でした。保育士さんが丁寧に作り方を教えてくれたから立派な竹馬が完成しました。竹馬を作ったあとでみんなで乗って遊んだのですが保育士さんが安全に配慮してくれたから危険はありませんでした。保育園を卒園する際にはお別れ会をしました。もう保育士さんに会えないと思ったらすごく悲しかったのですが、最後にいろいろなゲームをできたからよい思い出になりました。楽しい遊びをたくさん経験できたから保育園に行くのが嫌じゃなかったです。無事に卒園できたのはいつも優しく接してくれて頼もしい存在だった保育士さんのおかげだと思っています。みんなで練習をした踊りを保護者に見てもらうための発表会は緊張しました。私はあまりダンスが得意じゃないから成功できるか不安だったのですが、保育士さんが可愛いダンスのやり方を毎日指導してくれたから失敗しないで完璧に披露できました。親と保育士さんが上手く踊れたことを褒めてくれたから感激しました。最初の頃は苦手意識があった運動がだんだん好きになったのは保育士さんといっぱい遊んだからだと考えています。
-
娘を否定しない保育園の先生に感謝!
娘が保育園に通い始めた一歳の頃、他の子よりも胃が小さいのか消化が早いのか、少し食べてしばらくするとお腹が空いたのか泣いてしまうことが良くありました。保育園に預けている時は基本的に団体行動のため、他の子と違うタイミングで食事をとることは難しく、先生方にも負担をかけてしまうと思い、どうすればいいか先生に相談しました。すると、朝はおにぎりやパン等、簡単なお弁当を持ってきて良いと言ってくださいました。朝は「お弁当良かったねー楽しみねー」と娘に声をかけてくれることで娘もニコニコに。また、配膳する前のご飯を「あれ?早弁かな?美味しい匂いがするね」とくださったり、柔軟に対応してくれました。娘も慣れない環境に不安があったと思いますが、否定せずに「よく食べる良い子」と肯定されながら過ごすことで毎日楽しそうに過ごせるようになりました。家では食べたがらない野菜も保育園ではおかわりするほど食べるようになり、先生のことも大好きになったそうで、名前をすぐに覚えていました。段々と朝のお弁当は必要無くなり、しっかりと三食皆と同じタイミングで食べられるようになりましたが、娘を否定せず食べることが楽しくなるように一緒に育ててくれた先生には心から感謝しております。
-
保育園でのちょっと得したような話
私が通っていた保育園に、ちょっと怖いイメージの保母さんがいました。
年齢は他の保母さんより上で、当時(40年くらい前)に中年くらいの保母さんでした。
その保母さんは怖いと言いうより、今思うとお母さん世代とお姉さん世代の違いだけだったのかもと思います。
私はいつも夕方の6時過ぎまで保育園に残っていて母親が迎えに来るのを待っていたのですが、その時にそのちょっと怖そうな保母さんがいて他の園児には知られないような一面を見せてくれていました。
その時の保母さんはいつものちょっと厳しものの言い方の感じではなく、なぜかにこやかで一人だけ保育園に残っている私だけが見られているような優しい感じでした。
その保母さんにもお子さんがいて、当時お子さんは中学生と高校生だと言っていました。
だから私が一人で最後まで保育園に毎日残されているところを見ると、何とも言えない気持ちになったのかもしれません。
時には声を変えて絵本を読んでくれたり、昨日自分で作ったというお菓子を私にだけ分けてくれたりして、これは最後まで居残りをさせられている私だけが味わえる至福のような気持になれました。
私が入園した時の保母さんのイメージは「怖そう」でしたが、卒園する頃には一番優しくて大好きな保母さんに変わっていました。
これは未だに忘れられない保育園での出来事です。 -
私と子供に寄り添ってくれた保育園の先生
うちの子は口唇口蓋裂をもって生まれた。生まれてすぐに大学病院を受診し、最低でも今後三回は手術しなくてはいけない事を知った。とてもショックだったが、日々の生活に追われ時間が過ぎていった。
主人は自営業で、私は手伝いをしていたのでどうしても預けなくてならないときは兄弟の通う保育園で一時保育を利用する事にした。口唇口蓋裂故の注意点などを伝えて週2回ほど預けるようになった。一時保育の担当はいつも決まった先生で他の子達と同じように我が子を扱ってくれた。かわいがってくれた。病気に対しては必要以上にリアクションはしないが、手術前など私がナーバスになってる時は話を親身になって聞いてくれてとてもありがたかった。メンタルが不安定で、もう病気を受け入れたと思っていてもふとしたことで涙が出てくる状態だった。そんな時先生のお母さんが大変なときはいつでも話聞きますよと言ってくれてるような振る舞いがうれしかった。ベテラン先生で自分の母親の様な年代だったと思う。退職の日には感謝の気持ちを伝えながら当時を思い出し二人で泣きながら別れた。出会わなかったら何かが少し違っていたと思う。先生元気にしてるかな?我が子は今年卒園です。 -
親にも子にも親身に対応してくれた保育園の先生
我が子が2才の頃の話です。子どもを預かってもらっていた保育園は2歳児クラスからトイレトレーニングがあり、いつも保育園に持って行くカバンの中には、オムツ数枚とトイレトレーニング用の下着を持たせていました。自宅にいてる間はオムツをはかせている時が多かったので、いざ保育園でトイレトレーニングが始まった時は不安でした。始めの内は下着を濡らすことが多くて着替えも多かった我が子、周りの子どもさんは既にオムツが外れている子が何人かいたので、親である自分が焦っていました。当時のクラス担任の先生にトイレトレーニングの不安や、自宅にいてる時のトイレトレーニングのことと、それ以外の子育てのことや子どもへの接し方など、当時不安だったことを全て相談しました。保育園の先生は嫌な顔一つしないで、親身になって私の話を傾聴してくださり、私が一通り話終わった後に、一つ一つアドバイスしてくださり、子どもの良いところや今後の課題などを丁寧に教えてくれました。保育園の送り迎えの時に、担任の先生に家庭での様子や、不安点などを言って情報共有してました。トイレトレーニングが順調になってきた時は、我が子や親である私と共に一緒に喜んでくれたこと、他のことでも少しでも何か出来たことがあった時でも、我が子が傍にいてる時に報告してくれて、我が子も嬉しそうにしていたのを覚えています。自宅で過ごす時も保育園の先生にアドバイスしてもらった言葉かけや、接し方などを意識して我が子に接するようにしたら、子育てものんびりと構えてできるようになりました。保育園の先生には今でも感謝しています。
-
忘れられない幼稚園の先生からの言葉
息子が幼稚園に入ったばかりの時のエピソードです。3歳で幼稚園に入園した息子は、当時まだオムツが完全には取れない状態でした。一人っ子っだったのでどうしてもオムツの卒業が遅くなってしまい、周りの同じ歳のお子さんはオムツを卒業している子がほとんどで、母親の私は「なんでうちの息子はまだオムツが取れないんだろう。」とかなり悩んでいました。幼稚園生活でも息子は時々漏らしてしまうことがあって、その度に先生にご迷惑をおかけして、私は肩身の狭い思いをしていました。漏らしてしまうと、幼稚園では汚れたパンツを洗って返してくれるのですが、忙しい先生にそんなことをさせるなんて・・と当時の私はとても気になって仕方がありませんでした。そこで先生に「息子はまだもらすことが多くてご迷惑をおかけするので、オムツにしておいた方がいいでしょうか?」とオムツを持参して幼稚園に相談に行ったところ、担任の先生が「息子さんにはオムツはもう必要ありません。失敗しながら覚えていくので大丈夫です。見守っていてあげてください。」とオムツを持ち帰るように仰ってくれたんです。「オムツはいらない。息子は大丈夫。」そう仰っていただいてものすごく安心したことが今でも忘れられません。先生が仰ったとおり、それからすぐにあっという間に息子は本当にオムツがいらなくなりました。幼稚園生活で周りのお友だちがトイレに行く様子を見て息子は自然に学んでいったんだと思います。もう15歳になった息子ですが、当時の先生の言葉は私にとっては忘れられないものになっています。20代の若くて可愛らしい先生でしたが、とても頼もしくて、素敵な女性でした。今でも時々思い出しては温かい気持ちになります。
-
先生の一言で乗り越えられた幼稚園生活
入園時、今までお母さんとべったりで、離れたことがなかった息子は、幼稚園に行くのが嫌で嫌で泣いていました。そうなることが事前に想定されていたため、プレ保育にも参加していましたが、周りのお友だちはお母さんを離れてダンスをしたり、先生のところに物を取りに行ったりする中、我が子は一切参加せずに不安を抱いていました。その時、とある先生が「お母さん、心配ですよね。子どもの柔軟性を信じてあげください。◯◯ちゃんなら絶対大丈夫です。」と優しく微笑んでくれました。この言葉がどれほど私を救ってくれたか。。しかし、前述した通り、幼稚園に行くのが嫌で、毎朝バスに乗せるのに必死な日々が続きました。そして数年後の卒園の時。あれだけ嫌がっていた幼稚園を今度は卒園することが嫌になった息子。プレ保育の時に先生に言われた言葉が蘇り、先生に今までのお礼と感謝を述べたお手紙を渡しました。我が家はバスでの送迎のため、直接先生とお話する機会は少なく、息子も目立つグループのお友だちと遊ぶのが好きなものの、本人は控えめなタイプで、正直先生の印象に残るタイプではありません。しかし、その先生はしっかりと息子のことを覚えてくださいました。卒園式の日、先生は私を見つけて涙を流しながら、「私も◯◯ちゃんのプレ保育のことはしっかり覚えています。それがこんなに大きくなって。。」と。私からしてみれば先生のあの言葉があったからこそ、幼稚園生活を無事終えることができたと感謝しかなく、式前だというのにお互い涙涙でした。素敵な先生に出会えたこと、この一期一会を大事にしたいと思っています。
-
幼稚園の先生に随分助けられました。
私の子供は幼稚園にプレの学年から入園しました。おむつもなかなかプレの時には外れなくて周りにはすでにパンツの子も多く、うちも早く外さなきゃとすごく焦っていました。家ではまめに私がトイレに連れて行くことが多かったため家のトイレでは何度か成功していたのですが幼稚園では皆でトイレに行く時間はあってもその時にちゃんと行かなかったり自分から「トイレに行きたい」とも言わないため大体おむつにしてしまってたので当時とても悩みました。入園後、年少さんはおむつではなくパンツで登園してもらいますと先生に言われてどうしよう、と途方に暮れていました。先生に相談すると「焦らなくても大丈夫ですよ」とか「年少さんは皆最初失敗するものなので気にしなくていいですよ」と優しく励ましてくれました。先生の言葉に少し安心しつつ、それでもやはり練習させないとなと思い、トレーニングは続けました。家では時々成功するものの外ではまだ失敗の方が多く、不安なまま入園しました。入園してしばらくはやはり園で失敗することが多く、毎日汚れたパンツを持って帰っていました。先生もトイレのことを気にかけてくれていたようで他の子よりも声かけを増やすなど子に合わせた対応をしてくれたおかげか日が経つに連れ、失敗回数は段々減っていき夏休み前には自分から行けるようになりました。親子共々、先生にはとても感謝しています。