この街に腰を落ち着けてから、もう何十年になるでしょうか。朝、窓を開けると流れてくるのは、駅前の喧騒ではなく、どこか懐かしく凛とした杜の空気と、お腹の底が空くような、丁寧な「お出汁」の香りです。かつて自分たちの世代が当たり前に持っていた「丁寧な暮らし」が、今の時代にこれほど鮮やかな形で受け継がれていることに、私は日々、深い感動を覚えずにはいられません。街の風景に溶け込む 大和高田の自然豊かな園から聞こえてくる子どもたちの笑い声は、単なる賑やかさではなく、この街全体を明るく照らす「希望の響き」のように感じられます。今回は、一人の近隣住民の目線から、この場所が育んでいる「目に見えない価値」についてお話ししてみたいと思います。

1. 杜が教える「命の歩幅」

園のすぐ隣には、古くからこの地を見守ってきた鎮守の杜が広がっています。 私たちはつい、効率やスピードを追い求めてしまいますが、あそこの子どもたちは違います。杜の巨木に抱かれ、土をいじり、季節ごとに変わる風の音を全身で受け止める。アスファルトの上では決して学べない「命にはそれぞれ歩幅があること」を、あの子たちは杜から直接教わっているようです。 時折、お散歩中の子どもたちと目が合って挨拶を交わすことがありますが、その瞳の輝きと穏やかな表情を見るだけで、ここには現代のトゲトゲした空気とは無縁の、確かな「心の安らぎ」があることが伝わってきます。

2. 香りが繋ぐ「豊かな記憶」

調理室から漂ってくるあの出汁の香りは、私たちが忘れてはならない「本物の味」の記憶です。 聞けば、毎朝欠かさず天然の昆布と鰹節から引いているとのこと。化学的な味に慣れきった世の中で、幼い頃から素材そのものの旨味を知ることは、生涯の財産になるに違いありません。 また、食事の時間に「陶器」の食器を使っているというのも素晴らしい。重みを知り、割れるからこそ大切に扱う。そんな指先から伝わる教えが、子どもたちの所作を美しく整えていくのでしょう。2026年からは給食の体制もさらに進化し、食材の調達まで園で行うようになると聞きました。食に対するその誠実な姿勢は、預ける親御さんにとっても、私たち地域住民にとっても、大きな信頼の拠り所となっています。

3. 先生たちの「笑顔」が物語るもの

私がもう一つ驚くのは、先生たちがいつも心からの笑顔で子どもたちと向き合っていることです。 昔と違って今の保育現場は大変だと聞きますが、ここでは不必要な忙しさが感じられません。最新のデジタルツールを賢く使って、事務作業をスマートにこなしているからこそ、先生たちの心に「子どもを慈しむ余白」が生まれているのでしょう。 テクノロジーで守られた人間らしい時間。そのゆとりが、杜の空気と混ざり合って、園全体を包む温かな雰囲気を作り出している。それは、合理性を追求しながらも、決して温もりを捨てないという、新しい時代の教育の形を見ているようです。

4. 地域の灯台として、次世代へ

子どもは街の宝です。 神職としての顔を持つスタッフの方々が、伝統的な礼節を重んじながら、一方で最新の知恵を柔軟に取り入れている。その「ハイブリッドな背中」を見て育つ子どもたちは、きっと自分たちの故郷を誇りに思う大人へと成長してくれることでしょう。 2025年度、2026年度と続く事業計画を見ても、この場所が単なる施設ではなく、地域を支える強固なインフラとして、いかに真剣に未来をデザインしているかが分かります。

結論:この街で、共に生きる喜び

教育とは、何かを一方的に教え込むことではなく、命が自ら育とうとする力を信じ、最高の環境を整えること。 駅前の利便性を享受しながら、内側では千年の杜に守られ、本物の香りと手触りに包まれて過ごす日々。そんな贅沢な日常を選べるこの街の子どもたちは、本当に幸せだと思います。

未来という名の「つぼみ」たちが、自らの力で鮮やかに、力強く花開くその時まで。 私たちはこの街の片隅から、杜を抜ける風と共に、その健やかな歩みを見守り続けていきたい。 大和高田の空に響く子どもたちの声と、今日も優しく漂うお出汁の香り。 そこには、私たちが大切に守り抜くべき、何物にも代えがたい「本物の時間」が流れています。