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  • 可愛い先生のおかげで娘が女の子らしく成長!

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    娘は今4歳年中組、20代の若くて可愛く優しい先生に出会いました。娘は7歳のお兄ちゃんと二人兄妹で、家ではお兄ちゃんの遊びに合わせてブロックやゲームで遊ぶため女の子らしいごっこ遊びやプリンセスになりきったりすることもほとんどありませんでした。いつも元気で天真爛漫な娘ですがもう少し女の子らしさを身に付けてほしいと願っていました。そんな中、年中クラスで日々を過ごす中、最近お友達とおままごと、プリンセスごっこをして遊ぶのがブームになってきたようで徐々に家でも日常のしぐさが変わってきました。先生が一緒に遊んでくれてセリフやダンスも教えてくれるようです。先日、発表会があり、とても可愛いプリンセスのドレスを着させてもらって舞台で踊りを発表しました。娘は一番背が小さいのですが、センターで堂々と踊っていました。振り付けも完璧、沢山先生と練習したようです。先生に話を聞くと、幼稚園ではとっても女の子らしくおしとやかで、可愛いんですよ!ダンスが一番表現力豊かで素敵で、センターにさせてもらいました!ととても嬉しいことを言ってもらえました。キラキラと輝いていましたね!と誉め言葉をたくさんもらえて、娘も私もとても嬉しかったです。娘を女の子らしく成長させてくれて、また娘の輝けるところを見つけて伸ばしてくれるとても良い先生に出会えて、きっとずっと心に残る先生になると思います。

  • 幼稚園の先生との一体感

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    私立の幼稚園に長女と次女が通っていましたが、何よりも幼稚園で感じたのは先生、幼稚園、そして保護者の一体感です。特に感じたのは運動会やお遊戯会、さらには様々な行事における両親の参加です。例えば運動会であっても、天候不良でコンディションが悪いときにはスポンジで水を吸うことを朝から保護者が一緒に行ったり、お遊戯会であっても会場作りを親が一緒に行うといった参加型で行っていました。もちろんこれを嫌うようなご両親もあったと思いますが私に関しては幼稚園との一体感を感じるためには本当に良かったと思っています。正直なところこのような機会を設けてもらえなければ自分自身の子供たちが接している先生がiToの顔と名前も1つの事はありませんし、幼稚園に行っても本当に数時間しか滞在する事はなかったと思います。このような一体感を生むような取り組みを促してもらったおかげで子供たちも自分たちがどのような先生と過ごしているのかを見てもらえるのも非常に良かったのではないかと思います。なかなか、モンスターペアレントと言う言葉があったり幼稚園側もお付き合いは難しいかもしれませんが、個人的にはこのような触れ合いをもっと大切にしていってほしいと思います。 

  • 些細な褒め言葉の力

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    もう40年以上も前の話です。その頃、私は幼稚園の年少でした。私の母はPTAの役員をしていて、幼稚園の終わりに、教室に残って打ち合わせをしたり、何かの作業をすることが多いため、私も幼稚園に残り、絵本を読んだり、積み木で遊んだりして時間を潰していました。ある時、教室に数人集まって作業をしていた先生の一人に隣の教室からハサミを持ってくるように頼まれました。暇をもてあましていた私は元気に返事をして、ハサミを取りに行きました。先生の机の上から大きなハサミを手に取った私は、すぐに隣の教室に戻り、先生にハサミを差し出しました。その時、私は特に何も考えずに、刃を持ち、刃先を自分側に向けて差し出したのです。それを見た、先生が「●●くん。えらい! ちゃんとハサミの渡し方知ってるんだね。かっこいい! そうだよね。刃を人に向けたら危ないもんね」と、満面の笑顔で言ってくれたのです。普段は少し怖い先生だったので、その先生に褒められたことがとても嬉しく、それ以降、どんな場面でもハサミを渡す時には刃先を持つようにしながら、いつもその先生から褒められた言葉を思い出すのです。幼稚園の先生ですから、子どものいいところを見つけて褒めることが当たり前なのかもしれません。それでも、どんな些細なことでも褒められた方は一生忘れないこともあるのです。

  • 保育園を抜け出して先生に見つけられた話

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    私が保育園児だったのは今から40年くらい前です。ですが、この事だけは忘れずに覚えている良い思い出があります。私はなぜかあまり保育園が好きになれず、いつも行きたがらなかったり、酷い時は保育園を黙って抜け出してしまうようなこともありました。3回ほど保育園を抜け出していたのですが、その都度私の行き先は決まっていてなぜか近くの牛小屋でした。動物が昔から好きだったというのもあると思いますが、牛の鳴き声をいつも保育園から聞いていたので気になっていたのだと思います。いきなりいなくなった私の事を当時30代前半くらいの若い保母さんが探しに来てくれて、毎回負ぶって帰ってくれるのです。私が保母さんに「帰ろー」と言われてもぐずって泣いたためだと思いますが、大好きな保母さんに私だけおぶって帰ってもらえるのがとても嬉しかったことを覚えています。今思うと単に私だけが保育園を抜け出していたからなのですが(笑)。卒園までに3回も抜け出して牛小屋に行きましたが、保母さんがおぶって帰ってくれるだけでなく、時にはお菓子を持って来てくれることもありこれも嬉しかったです。保母さんには変な子で本当にご迷惑をかけたと思いますが、私にとっては忘れられない素敵な思い出です。

  • 保育園の先生からの嬉しい報告

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    とても活発な我が子。虫を掴んで食べようとするわ、猫なんか見つければ大騒ぎでおいかけまわすのです。保育園に入園するときも全く物怖じしないどころか、最初から自分の家であるかのような振る舞いをするのです。お友達と上手く付き合えるかな、仲良くできるかな?という心配は、「お友達に怪我などさせないかな」という方向の心配でした。実際に通い始めてすぐにお友達もできたみたいで、いつも「いつも元気ですよ」と先生からのコメント。怪我だけはしないでね、お友達に怪我もさせないでねと、いつも言い聞かせます。保育園にもだいぶ慣れてきたかな、というある日のこと、いつものようにお迎えに行ったら先生から思いもよらないお話しがあったのです。喧嘩をしているお友達同士の間に入ったり、泣いているお友達に「どうしたの?」と声をかけたり、そしてなにより驚いたのは「怪我だけはしたらダメなんだよ?」とお友達みんなに対して我が子がしきりに伝えているというのです。先生からは「みんなも彼の話をよく聞くんですよ、私よりも説得力があるみたい」とのことで、保育園に入園してわかることもあるものなんだな、と親としてはとても嬉しく思いました。そろそろ虫を口に運ぶのもやめてくれるようになるといいな。

  • 卒園してからも手紙をくれる幼稚園の先生

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    私が通っていた幼稚園は、1学年1、2クラスの園でした。おそらく先生方は担任でなくても、園児のほとんどを把握しており、いつも明るく温かく見守ってくれていたなと記憶しています。私は特に悩みや問題なく、その幼稚園を卒園しました。小学生になって、幼いころから母親によく本を買い与えられていた私は、自分から図書館に通い、よく本を読むようになりました。ある日私の母が幼稚園に妹を迎えに行った際、私が最近本が好きであることを、何気なく先生に話したそうです。すると後日、その先生が私宛の手紙を母に渡して下さったのです。手紙にはきれいな字で、私がよく本を読んでいると聞いて嬉しいこと、「サンタクロースっているんでしょうか」という本をおすすめしたいということが書かれていました。おすすめされた本は、大人になった今でも読みたくなるお話ですが、当時の私が読んでも、子供ながらに素敵だなと思える本でした。手紙を下さった先生が私の担任だったのは、年少の1年間だけです。素晴らしい本を紹介されたことも嬉しかったですが、たくさんの園児の中の1人である私を、卒園後も気にかけて下さり、丁寧に手紙を書いて下さったことに、心が温かくなりました。現在、私は地元を離れており、さすがにその先生ももう園で働いていらっしゃらないかもしれませんが、忘れられない思い出です。

  • 楽しかった保育園行事

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    私が通っていた保育園では何かしら行事や催し物が沢山ありました。特に楽しかったのが何個かありますが、一つは毎年行われるお泊り保育です。園児にとってお泊りはとっても特別。一日中友達や先生と過ごせるなんて夢のようでした。夜の海に行って叫んでみたり、夜のプールに入りながら花火をみたり、みんなで作ったフルーツポンチに炭酸を注ぐことでさえ興奮していた記憶があります。夕食で初めて食べたステーキには感動しました。普段遊び場として利用してるホールにみんなで雑魚寝。これもとてもいい思い出の一つです。行事と言えば、私の保育所では面白い催しがありました。毎年恒例、先生方がセーラームーンの衣装を着て行うライブイベントです。当時はセーラームーンが大人気だったのでとても嬉しかったです。ですが、一つトラウマになった出来事もありました。主人公のうさぎ役の先生が骨折してギプスをつけて登場した回です。骨折した人を見ることが初めてだったので、怖かった記憶があります。衝撃でした。子どもの頃ってすべてが初体験の連続で見たり聞いたことは本当刺激になります。何個か思い出はありますが、自分が将来こうなりたいと夢を決めた行事もありました。なんてことない、料理の時間です。一番好きだったのはビスケットケーキ。牛乳に浸して生クリームをつけたビスケットをリング状に重ねていくのですが、なんでなのか楽しくて将来パティシエになりたいと思った瞬間でした。子どもの頃、特に保育園での人や物との触れ合いや体験は大人になる過程で必要な経験なのかもしれません。そう、実感しました。

  • あの幼稚園の先生との出会いが全ての始まりでした。

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    私は事情があって、兄の子供、つまり、甥を母親代わりとして育てていた事がありました。甥が1歳から小学校に入るまでの約6年間です。父親である兄は健在でしたが、片親という事もあり、私は甥に私が与えれあげられるのは、愛情とあと教育であると思っていて、幼稚園からお受験して私立に通わせていました。勿論、私の両親の経済的援助がってからこそできた事ですが。小学校受験に対応していた幼稚園でしたので、年少の時にすでにIQテストが行われました。その時、担任の先生に、お迎えの時に個人的に呼ばれました。先日の甥のIQテストの結果についてでした。先生は、甥はこの地域のみならず、全国的に見ても、かなり高いIQの数値なので、これは個人的にですが、子供教室に通わせるなりして、才能を伸ばしてあげて欲しいと言われました。私は家に帰って両親に相談して、早速、いくつかの子供教室に見学に行き、当時まだ3歳ではありましたが、彼自身に行きたい子供教室を選ばせました。そこでも、IQテストが行われ、子供教室では結果の数値も教えてもらえました。それから私は甥の小学校受験を成功させ、イギリスへ留学しました。しかし、その幼少期の判断が間違えていなかった証拠に、甥は、その後も、有名進学校へ中学から進み、大学も難関大学の法学部に合格。司法試験にも合格して弁護士になりました。甥は、私が幼少期に下した決断には感謝していると未だに言ってくれますが、私自身はあの時の、年少組の時の担任の先生に未だに感謝しています。もし、先生が個人的にそういった話をしてくれてなかったら、色んな決断を早期にできてなかったと思いますし、甥の才能をちゃんと意識して伸ばしてあげれていたのかも分からなかったからです。甥はもう30代半ばですが、私はあの幼稚園の年少組の先生の顔は今もしっかり覚えています。私は甥の親ではありませんが、未だに、私はあの先生に心の中で感謝しています。甥の現在があるのは、先生の助言のおかげだと。先生も今、幸せに暮らしていらっしゃられるよう、願っています。

  • 幼稚園の先生の言葉に涙がでました。対応に感謝しています!

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    我が子は発達の遅れがあり、入園時点で発語も少ない状態でした。登園しぶりも激しく朝は大泣き大暴れで、私が横抱きにかかえてなんとか登園していました。園を脱走しようとしたり、椅子に座っていられず教室の中をずっと走り回っていたり、一斉指示が理解できなかったり、不登園時期もありました。発達の遅れについては理解しているものの、孤独感を覚えることもあり、親としても子どもの対応にかなり手を焼いてしまって、本当につらい苦しい日々が続いていました。そんな中「お子さんもがんばっている!お母さんもよくがんばっている!」そう先生に声をかけていただいたことがうれしくて、親子のがんばりを見ていてくれる人がいるんだと、涙がでました。先生方は、一緒になって登園しぶりの理由を考え、教室の座る場所を変え、短い言葉で声掛けをするなどの工夫や、登園をしぶる子どもを自宅まで迎えに来てくださったり、担任以外の先生も子どもの名前を読んで挨拶や声掛けをしてくださったり、本人の性格を見極めてモチベーションがあがるよう促してくださったり(子どもは負けず嫌いなので「朝、先生とどちらが早く教室に入れるか」競争などはとても効果がありました。)、先生間での情報共有も含め、子どもに向きあって寄り添った対応をしていただいたと思っています。おかげさまで、今は、毎日泣くことなく元気に登園しています。子ども本人の成長もありますが、先生方の協力にはとても感謝しています!ありがとうございます!

  • 保育園の先生と20年ぶりの再会

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    私は保育園の先生が大好きでした。4歳の頃の担任の先生はいつもニコニコ優しい先生でした。今思い返すと、きっとあの頃の先生は新人の先生だったのだろうと思います。園児の私たちが毎日楽しめるように、保育室にはかわいいイラストが飾られていたり、先生が手作りで飾りを作ってくれたりして毎日一生懸命に私たちを保育してくれていたのだと思います。私自身も保育園に行くことが楽しみでしかありませんでした。そんな中、運動会の練習がはじまり、私は足が遅く走るのが苦手だったので、運動会当日もかけっこの途中で転んでしまい、転んだ恥ずかしさと、足の痛さで涙がでました。もう走るのをやめようかと思っていたら、先生が「大丈夫!一緒に行こう!」と手とつないで一緒に走ってくれて、無事にゴールできました。そのあとも、「あきらめないで最後まで頑張って偉かったね!頑張ったね!」と抱きしめてくれました。大好きな先生とは卒園以降会うこともなかったのですが、私が社会人として銀行で働き始めてしばらく経ったころ、「〇〇ちゃん?」と窓口にきた女性が声をかけてきました。誰だろう?と一瞬戸惑いましたが、優しい笑顔があの頃の先生と変わらないのですぐに気が付きました。久しぶりに会う先生は嬉しそうに「お仕事頑張ってるね!昔から頑張り屋さんだったもんね!」と言ってくれ、それからは来店するたびに声をかけてくれます。大好きな先生に再開して、今では私の仕事を通して先生が「頼りにしてるよ!」と言ってもらえるくらい成長した姿を見せることができてとてもうれしいです。