-
忘れられない幼稚園の先生からの言葉
息子が幼稚園に入ったばかりの時のエピソードです。3歳で幼稚園に入園した息子は、当時まだオムツが完全には取れない状態でした。一人っ子っだったのでどうしてもオムツの卒業が遅くなってしまい、周りの同じ歳のお子さんはオムツを卒業している子がほとんどで、母親の私は「なんでうちの息子はまだオムツが取れないんだろう。」とかなり悩んでいました。幼稚園生活でも息子は時々漏らしてしまうことがあって、その度に先生にご迷惑をおかけして、私は肩身の狭い思いをしていました。漏らしてしまうと、幼稚園では汚れたパンツを洗って返してくれるのですが、忙しい先生にそんなことをさせるなんて・・と当時の私はとても気になって仕方がありませんでした。そこで先生に「息子はまだもらすことが多くてご迷惑をおかけするので、オムツにしておいた方がいいでしょうか?」とオムツを持参して幼稚園に相談に行ったところ、担任の先生が「息子さんにはオムツはもう必要ありません。失敗しながら覚えていくので大丈夫です。見守っていてあげてください。」とオムツを持ち帰るように仰ってくれたんです。「オムツはいらない。息子は大丈夫。」そう仰っていただいてものすごく安心したことが今でも忘れられません。先生が仰ったとおり、それからすぐにあっという間に息子は本当にオムツがいらなくなりました。幼稚園生活で周りのお友だちがトイレに行く様子を見て息子は自然に学んでいったんだと思います。もう15歳になった息子ですが、当時の先生の言葉は私にとっては忘れられないものになっています。20代の若くて可愛らしい先生でしたが、とても頼もしくて、素敵な女性でした。今でも時々思い出しては温かい気持ちになります。
-
先生の一言で乗り越えられた幼稚園生活
入園時、今までお母さんとべったりで、離れたことがなかった息子は、幼稚園に行くのが嫌で嫌で泣いていました。そうなることが事前に想定されていたため、プレ保育にも参加していましたが、周りのお友だちはお母さんを離れてダンスをしたり、先生のところに物を取りに行ったりする中、我が子は一切参加せずに不安を抱いていました。その時、とある先生が「お母さん、心配ですよね。子どもの柔軟性を信じてあげください。◯◯ちゃんなら絶対大丈夫です。」と優しく微笑んでくれました。この言葉がどれほど私を救ってくれたか。。しかし、前述した通り、幼稚園に行くのが嫌で、毎朝バスに乗せるのに必死な日々が続きました。そして数年後の卒園の時。あれだけ嫌がっていた幼稚園を今度は卒園することが嫌になった息子。プレ保育の時に先生に言われた言葉が蘇り、先生に今までのお礼と感謝を述べたお手紙を渡しました。我が家はバスでの送迎のため、直接先生とお話する機会は少なく、息子も目立つグループのお友だちと遊ぶのが好きなものの、本人は控えめなタイプで、正直先生の印象に残るタイプではありません。しかし、その先生はしっかりと息子のことを覚えてくださいました。卒園式の日、先生は私を見つけて涙を流しながら、「私も◯◯ちゃんのプレ保育のことはしっかり覚えています。それがこんなに大きくなって。。」と。私からしてみれば先生のあの言葉があったからこそ、幼稚園生活を無事終えることができたと感謝しかなく、式前だというのにお互い涙涙でした。素敵な先生に出会えたこと、この一期一会を大事にしたいと思っています。
-
幼稚園の先生に随分助けられました。
私の子供は幼稚園にプレの学年から入園しました。おむつもなかなかプレの時には外れなくて周りにはすでにパンツの子も多く、うちも早く外さなきゃとすごく焦っていました。家ではまめに私がトイレに連れて行くことが多かったため家のトイレでは何度か成功していたのですが幼稚園では皆でトイレに行く時間はあってもその時にちゃんと行かなかったり自分から「トイレに行きたい」とも言わないため大体おむつにしてしまってたので当時とても悩みました。入園後、年少さんはおむつではなくパンツで登園してもらいますと先生に言われてどうしよう、と途方に暮れていました。先生に相談すると「焦らなくても大丈夫ですよ」とか「年少さんは皆最初失敗するものなので気にしなくていいですよ」と優しく励ましてくれました。先生の言葉に少し安心しつつ、それでもやはり練習させないとなと思い、トレーニングは続けました。家では時々成功するものの外ではまだ失敗の方が多く、不安なまま入園しました。入園してしばらくはやはり園で失敗することが多く、毎日汚れたパンツを持って帰っていました。先生もトイレのことを気にかけてくれていたようで他の子よりも声かけを増やすなど子に合わせた対応をしてくれたおかげか日が経つに連れ、失敗回数は段々減っていき夏休み前には自分から行けるようになりました。親子共々、先生にはとても感謝しています。
-
幼稚園の先生の家庭訪問
私が幼稚園に通っていたのはずいぶん前なので、今とは違った幼稚園の在り方だったと思うのですが、園内での楽しかった思い出の中には素敵な先生の記憶もしっかりと残っています。私が通った幼稚園はキリスト教の修道院に付属していて、先生の中には黒いベールをまとったシスターもいらっしゃいました。日々の中で先生とどのような遊びをしたのかまではあまり覚えていないのですが、教室でのお話の時間やお弁当の時の静かで品の有る先生の姿を覚えています。当時は幼稚園でも家庭訪問があり、割と遠方から通っていた私の家まで先生が来てくださいました。路線バスに乗ってこられ、バス停まで迎えに行った私と手をつないで家まで来られました。先生を独り占めできたようで嬉しくてたまらなかった思い出があります。我が家に来られて母親と話をされていた先生がずっといてくれたらいいのにと気持ちが高ぶってしまい、テーブルの周りを走り回って仕舞いにはテーブルのお茶をこぼしてしまいました。母には睨まれましたが、先生はにっこりして「大丈夫よ。」と言ってくれました。帰られるときは寂しかったですが、また幼稚園で会えると思い、手をつないでバス停まで送っていきました。先生の品のあるお顔は、いつになってもはっきりと思い出すことが出来ます。
-
10年ぶりに会った先生が自分の名前と顔を覚えてくれていたこと
中学2年生の時に自分の通った保育園に職場体験に行きました。その時に担当してくれた方が自分が4歳、5歳の時にお世話になった保育士の先生で私のことを覚えてくれていたことにとても感動しました。保育園には10年以上行く機会もありませんでした。自分の受け持った生徒は顔を見たらわかるとよく聞きますが本当にそうだと思います。幼少期と比べて顔や体型が変わったと思いますが先生にはあまり関係ないことがその時わかりました。その先生とはスーパー等で1年に数回出会うのでもしかしたらそこで覚えているだけかも知れませんが小さい時に呼ばれていたあだ名で呼んでくれました。私が大好きだった保育士の先生は私が卒園後少し経ってから結婚し保育園は退職したそうです。その頃は恥ずかしくて会いに行きませんでしたが今覚えば会いに行っておめでとうと言葉をかければよかったと思っています。大好きだった先生や私の顔と名前を覚えてくれていた先生とまた出会えてとっても嬉しかったです。また保育園も自分がいた時より綺麗になっていて羨ましい反面寂しくも感じました。「小さかったのに大きくなったね、学校楽しい?」とあの時聞いてくれた先生は今でも忘れないとても大好きな先生です。
-
子供の目線になって考えるという幼稚園の先生の仕事
私の通っていた幼稚園はとても自然豊かな場所にありました。近くには小さいながらも澄んだ川が流れ、また幼稚園のすぐそばには竹林や虫の多い森もありました。代わりにお店は昔ながらの小さなものしかなく便利ではありませんでしたが、温かみのある人も多かったように思います。そして、私を担当していた幼稚園の先生もその一人でした。若い女性の先生で、今考えると働き出してから5年くらいのものだっただろうと思いますが、忙しく働きつつもいつも子供目線でものを考えるのを忘れない人でした。私が森の近くで遊んでいて大事なおもちゃを落としてしまった時には、暗くなるまで一緒に探してくれたことを今でも覚えています。それは安いお菓子のオマケで大人から見ると大したものではありませんでしたが、当時子供だった自分からすれば宝物。そしてそれを感じ取った先生は、やぶや茂みが多く探すのが大変な中、虫に刺されながらも、泥で汚れながらもずっと探してくれたのです。それは結局見つかることはありませんでしたし、おもちゃを失ったことは悲しかったですが、同じくおもちゃを探してくれた子供たちが疲れたり飽きたりして帰っていく中、最後まで協力してくれたのは嬉しかったです。また、忙しくとも人の気持ちを忘れないということは、私の中で今でも教訓として生きています。
-
幼稚園の先生に気づかされた子供の長所
私の子供は人見知りが激しく、人前で何かをすることが苦手なタイプです。私自身も似たような性格で、子供の頃から目立たないタイプの人間でした。子供の友達は、はきはきと明るく率先して人前に出ていくタイプの子が多く、子供らしいそんな姿を見て、心のどこかで自分の子供と比べ、羨ましく思ってしまう自分がいました。それと同時に自分が子供のころの姿と重なってしまい、私の性格がこんなだから、子供も似た性格になってしまった、と自分自身しんどくなってしまうこともありました。そこで、幼稚園の個人懇談会の時に先生に相談してみました。「これからの時代うちの子のような性格では心配だ」というような内容のことを相談すると先生は、「最近は幼稚園でも自分が一番になりたがる、人より前にでたがる子供が多くなってきています。それは悪いことではないのですが、みんなが同じようにリーダーになったのでは、回っていかないです。~君は人の気持ちを考えられる優しい子供です。そういう子がいるおかげで、クラスはまとまっているんです。」とおっしゃってくれました。その言葉で自分の子供の良いところを見失っていたことに気が付きました。そして先生はきちんとわかってくれている、見てくれているんだと思うと、すごくうれしく安心しました。
-
長所を認めてくださった幼稚園の先生
我が家では年中から、長期休みの度に普段通っている幼稚園とは別に課外活動をするために「森のようちえん」に行っていました。うちの子はとにかくマイペースで、集団行動が苦手で、空気を読めずにいたので、それはそれは心配していました。平日に市役所の保健師の方に相談に行っていたくらいでした。年長組になる前の春休みの頃、森のようちえんのプログラムで、湖に近い森の中で散策をしていたときのことです。この日は親子で登園していて、森のようちえんの先生ともお話する機会がありました。森の池に着いたときにふとT先生に「実は、子どものことで悩んでいまして。」と打ち明けてみました。T先生は「そうなんですか。でもMちゃん、いいところいっぱいありますよ。」とおっしゃってくださいました。ちょうどうちの子が年下の子ども達を誘って、池の中にドボンと入ってしまったところでした。「楽しいことをとことん楽しもうとするところ。年下の子に優しくできるところ。お母さん、Mちゃんのよいところを伸ばせばいいじゃないですか。」と笑顔で答えてくださいました。今の今まで、自分の子どもの足りないところにばかり目がいっていたのに、その言葉でスッと胸が救われるような気持ちになりました。その日は、池にはまってずぶ濡れになった我が子を怒ることなく、着替えさせることができました。T先生の優しい眼差しには感謝しきれません。
-
季節の行事を保育士さんと楽しめて良かった
私が行っていた保育園では様々な行事があり、40年経った今でも保育士さんといっしょに楽しんだことが思い出に残っています。例えば、お泊り保育をみんなでした時は、保育士さんが絵本を読んだり子守唄を歌ってくれたからぐっすり眠れました。私が特に楽しみにしていたのは夏祭りで、浴衣を着た園児と保育士さんがいっしょに盆踊りをしました。きれいな浴衣姿の保育士さんがとても素敵でした。入園式の時に緊張しなかったのは、優しく語りかけてくれた保育士さんのおかげだと思っています。こどもの日は保育士さんに指導してもらいながら新聞紙で兜を作ったり、小さな鯉のぼりを持って走り回ったりしました。物を作る面白さを覚えたのが保育園の時だったと記憶しています。保育士さんに連れられて近くの広い公園まで遠足に行ったのですが、道路を渡る時に危険がないかを常に注意してくれたので安心でした。用心深い保育士さんさんがいなかったら問題が起きていたかもしれないから感謝しています。保育士さんがサンタクロースになってクリスマス会を開いてくれたのが嬉しかったことです。保育士さんはお菓子を配ってくれたのですがとても美味しかったです。1月はもちつき大会をやって出来たばかりの熱々のお餅を保育士さんと食べました。保育士さんがきな粉にまぶして作ってくれたおやつのお餅は最高の味で何個もほおばってしまいました。
-
幼稚園からの呼び出し
長男は幼稚園の年中さんの時、多動で癇癪もひどくお友達にもよく手をあげていたいわゆる問題児でした。一番悩まされたのは癇癪で、母親の私に対しては特にひどく、気持ちの切り替えが出来ない時、頻繁に感情を爆発させ私に対して泣き叫び、殴る蹴るを繰り返していました。毎朝登園させる時行きたくないと泣き叫び、そして園から帰る時、園の門が閉まっても息子一人だけ園庭の真ん中や駐輪場で泣き叫び帰るのを拒否する…そんな日々を送っていました。ある日、幼稚園の副園長先生から電話で呼び出しがありました。度重なる息子の問題行動について咎められると思い気を重くしながら渋々園へ足を運びましたが、思いもよらない言葉をかけられました。「お母さんよくがんばっていますね」その言葉を聞いた途端、私は涙があふれだしました。自分でも知らず知らずのうちに息子の事をため込んでいた事にその時初めて気づきました。「他のお母さんの目も気になりますよね」「お母さんのメンタルは大丈夫ですか?」母親の私を労わる言葉をたくさんかけて頂き、一人じゃないんだとすごく安心したのを覚えています。具体的な対応策も提案していただき、専門機関のサポートもあり息子は今ではすっかり落ち着いた小学生になりました。きっと副園長先生への感謝の気持ちは一生忘れないと思います。