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幼稚園・保育園で先生と作った工作物
上の子が通っている幼稚園で、毎週決まった曜日にまだ幼稚園や保育園に行っていない下の子が通えるプレのような時間がありました。毎週下の子と行くことを楽しみにしていたのですが、その時に毎回先生が工作とお話をしてくれました。毎回その時にしてくださるお話につながるような工作だったのですが、歯磨きがテーマの絵本を読んだ時は、ティッシュ箱などを使って作った動物の顔と歯に、ブラシも、自分たちで作って「歯磨きしゅっしゅ!だね!」みんなで遊んだのが今ではとても良い思い出になっています。また下の子が作って持って帰ってきたときに、上の子が「僕の分も欲しかった!」と言うことがないように、必ず先生が「上の子の分も作っていきますか?」と尋ねてくれたり、いくつか作っておいたサンプルを譲ってくれたりして、家に帰ってから喧嘩にならないようにいつも配慮してくださっていました。いつも牛乳パックやトイレットペーパーの芯、プリンのカップやティッシュペーパーの箱、プラスチックのトレーなど、ゴミになりそうなものをうまく活用して工作を考えてくださったことに本当に感謝しています。今でも子供たちと一緒に作った工作は大事に置いてあります。見るたびに小さかったの頃を思い出します。
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先生が教えてくれた「許す勇気」
幼稚園で友達と砂場でお山を作っていた時のことです。やっとできたと思ったら、同じモモ組のやんちゃな女の子がツカツカっときてお山を足でグシャっと潰しました。大人しかった私と友達は茫然としてしまい、悔しくて半泣き状態に。それを見ていた男の子が先生に言いに行ったようで、担任の先生が来て状況を把握。やんちゃな女の子は先生に「謝ろうかね。先生も一緒に謝るよ。」と言っているのが聞こえてきます。そして私たちの隣まで来たので謝るのかと思いきや、潰した山をまやもやグシャグシャにしてケラケラと笑ったのです。これを見て一緒に山を作ったお友達はついに泣き出し、私はもうポカーンとしてしまいました。すると先生が私たちの手を握り、「本当にごめんね。せっかく作ったお山がこんなになっちゃって。〇〇ちゃん(やんちゃな女の子)には言っておくから。許してくれる?」と言い、ポカーンとしてくれた私はハッとし、何か返事をしなくてはと思い、「うん…」と言って頷きました。すると「ありがとうね。先生ね、”謝る”ことも勇気がいることだと思うけど”許す”っていうのはもっと勇気がいることだと思うんよ。それができる2人はえらいなあ。先生感動したよ。」と言ったのです。とても嬉しく感じ、お友達と2人で笑顔になったのを覚えています。大人になった今でもあの言葉は私の励みになっています。
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私を助けてくれた幼稚園の先生の対応
私は、幼稚園に行くのが嫌になったことがありました。それは、私がおしっこを我慢することができず、漏らしてしまったのです。おとなしい性格だったため、漏らしたことも先生に言えませんでした。でも、椅子はおしっこで濡れてしまっているので、隣の席の子に気づかれてしまいました。恥ずかしくて、ずっと泣いていたのを今でも忘れません。教室の隅にピアノがあり、その陰で先生が着替えさせてくれました。「大丈夫だよ」と笑ってぎゅっと抱きしめてくれました。とても安心したのを覚えています。一部のクラスメートからは、「おしっこ漏らしだ」、「汚いやつ」などと言われましたが、先生のおかげで、私は何も怖くありませんでした。それ以降も何度か漏らしてしまったが、先生に着替えさせてもらうのが嬉しくて、恥ずかしいという気持ちもなくなりました。月日が経つにつれて、おしっこを漏らすこともなくなり、その後は楽しく幼稚園生活を充実して過ごすことができました。あの時、先生のあの行動がなかったら、私は幼稚園に行くのが嫌になっていたと思います。先生の素晴らしい対応によって、堂々と登園することができました。本当に感謝しかありません。私も先生のような、素晴らしい人間になっていきたいと思いました。
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娘と参加した幼稚園のリンゴ狩り
娘が幼稚園に入った年の秋、親子で参加するリンゴ狩りの連絡がありました。大抵のお母さんは行事を楽しみに待つと思いますが、私は人付き合いが苦手で孤立するのが常だったので、大勢が集まるこんな場は憂鬱でした。更に娘は喘息でよく休んでいて仲良しのお友達もおらず、その日は二人静かにリンゴ狩りかと寂しく思っていたのです。娘のことを考えるとまさか不参加というわけにもいかず、当日を迎えました。案の定あちらこちらにママ友とその子供達のグループが形成され、皆楽しそうに大盛り上がりでした。どこにも混ざれず、少し悲しい気持ちで娘とリンゴを採っていた時のことです。担任の先生が明るく晴れやかな様子で、私達に話しかけてきました。「今日はお天気が良くて、本当に素敵な日になりましたね」とニコニコし、体裁を気にすることもなく大きな口でリンゴをがぶり。果汁で手や顔をベタベタにしながら「お母さんとAちゃんもやってみて、美味しいから」と私達にも勧めました。そこからは3人でリンゴを丸かじりし、汚れた顔を見合いながら笑って過ごしました。そのうち先生は単独でいる親子をさり気なく集め、自分が中に入ることで仲良くできるように配慮して去って行きました。おかげでその日は本当に楽しくて、こんな大勢のイベントで良い思い出ができたのは初めてでした。その時の先生の温かい笑顔や明るく照らされたリンゴの木々、日頃は大人しい娘のはしゃいだ顔、何年経った今もありありと目に浮かぶのです。素敵な先生に出会えて幸せでした。
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季節の行事を保育士さんと楽しめて良かった
私が行っていた保育園では様々な行事があり、40年経った今でも保育士さんといっしょに楽しんだことが思い出に残っています。例えば、お泊り保育をみんなでした時は、保育士さんが絵本を読んだり子守唄を歌ってくれたからぐっすり眠れました。私が特に楽しみにしていたのは夏祭りで、浴衣を着た園児と保育士さんがいっしょに盆踊りをしました。きれいな浴衣姿の保育士さんがとても素敵でした。入園式の時に緊張しなかったのは、優しく語りかけてくれた保育士さんのおかげだと思っています。こどもの日は保育士さんに指導してもらいながら新聞紙で兜を作ったり、小さな鯉のぼりを持って走り回ったりしました。物を作る面白さを覚えたのが保育園の時だったと記憶しています。保育士さんに連れられて近くの広い公園まで遠足に行ったのですが、道路を渡る時に危険がないかを常に注意してくれたので安心でした。用心深い保育士さんさんがいなかったら問題が起きていたかもしれないから感謝しています。保育士さんがサンタクロースになってクリスマス会を開いてくれたのが嬉しかったことです。保育士さんはお菓子を配ってくれたのですがとても美味しかったです。1月はもちつき大会をやって出来たばかりの熱々のお餅を保育士さんと食べました。保育士さんがきな粉にまぶして作ってくれたおやつのお餅は最高の味で何個もほおばってしまいました。
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お世話になった先生との別れと再会
私は幼少時代を海外で過ごし、幼稚園の年長で日本に帰国しました。言葉もまた覚えたてて、日本の文化にもまだ馴染めなかったのですが、早く馴染めるようにと地元の普通の幼稚園へと通うことになりました。ドキドキしながら初めて登園した日のことは記憶に鮮明です。優しい女性のK先生が待っていてくれて「Aちゃん、先生と一緒に遊ぼうね」と手をとってくれ、その手がとても暖かくて安心したのを覚えています。日本語があまりわからない私は、本来はおしゃべりなのに、とにかくおとなしかったようで、先生はとても気にかけてくれていました。そんなある日、先生が妊娠して、幼稚園を辞めることに・・・赤ちゃんが先生にできたことは嬉しかったけど、いなくなっちゃうんだ〜ととても悲しかった。まだ幼いから、そんな気持ちを伝えることができずに、お別れの会でも先生の顔を見られずに、話しかけられても無言だった私・・・・先生は気持ちを察してくれたのか頭をなでなでして、「また会いに来るからね」とお別れしました。やがて日本語もぐんぐん上達して、小学校へ上がる頃には本来の陽キャラ全開になり、おとなしかった私はどこへやら・・・ある日、運動会で演技を終えて戻ると、母親の隣で号泣してこちらを見ている人が。。。よく見るとK先生でした!「Aちゃん!」と名前を呼ばれて私も一気に幼稚園児に逆戻り。無意識に「先生お別れ会の時、ありがとうと言えなくてごめんね!」涙と共に口からこの言葉が。先生は「わかっていたよ、そんなこと」と優しく抱きしめてくれました。今でも先生とはハガキでやりとりしています。