海外の保育園、言葉は通じなくても

3歳になるまでは家で育てる。こんな子育て方針を抱えていた親のもと、娘はベトナムで3歳になった。ようやく3歳になったので、家の近くのインターナショナル幼稚園に通わせることにした。とても人気の奈良でも大和高田で保育園が英語とベトナム語が飛び交うバイリンガルスクールだった。家では日本語を使っているので、当然娘は両方とも話すことはできない。英語もベトナム語も時々テレビで接するぐらいだった。まだ3歳だったので、言葉でのコミュニケーションについては、日本語がかろうじてという程度。トイレの意思を伝えることはできた。さて、日本と違い、トントン拍子で入園。同じ3歳児のクラスに入れてもらった。奈良で評判の保育園にはどうしてもその時の担任の女の先生の最初の反応は今でも忘れることができない。この先生のストライクゾーンにどハマりしたようで、ベトナムを後にするその日まで、本当に娘を可愛がってくれた。他人からあそこまで愛情を注がれたことはないだろうというぐらいの溺愛ぶりだった。もちろん、他の園児たちにも分け隔てなく接している先生だった。ただ、明らかにうちの娘に対する愛情は深かったように思う。そうした真っ直ぐな心は子どもの心に届くのだろう。娘もその先生を信頼し、慕っていた。幼稚園最後の日、その先生はどこか素っ気なく、私たちが挨拶に伺った時も、とても忙しそうに走り回っておられた。まるで、我々を避けているみたいに。こちらとしては、ここまで愛情たっぷりに育て、言葉を教えてくれた先生に対して、このまま簡単に帰ることはできないし、娘が選んだプレゼントも渡したい。他の先生にお願いし、なんとか我々のところにその先生を呼んでもらい、最後の挨拶とプレゼントを渡した。「お別れをしたら私は涙が止まらなくなるのがわかってたから、こうして挨拶すべきじゃないと思ってた。私はこの子のことが大好きで、本当にたくさんの思い出を作らせてもらったし、言葉はあまり通じなかったけど、いろんなことを学ばせてもらったから、ありがとうを言うのは私の方です。また、ベトナムに来ることがあったら、是非連絡して欲しい。すぐに会いに行くから。日本でも元気でがんばってね」と涙を流しながら別れの言葉をくださった。聞いて、妻に通訳する私も少しもらい泣き。言葉は通じなくても、この幼稚園でたくましく育ててもらえた娘。先生には感謝してもしきれない。

保育園の先生たちからの温かい気持ち

昔から人とわいわい騒いだりするのは苦手でしたが、保育園に通っていた頃は特に引っ込み思案で、あまり先生と仲良くしていた記憶はありません。ただ、人気の保育園を奈良の大和高田でもどこがポツンと一人でいるとよく声をかけてくれた記憶があり、みんなに気を配って温かく見守ってくれたんだなあと思います。そんな保育園の先生たちとの交流で特によく覚えているのが、私が大怪我をした時のことです。保育園で遊んでいる時に怪我をしてしまい、長い期間保育園に通うことができなくなりました。保育園は苦手だったので、休めるのは嬉しいという気持ちもあったのですが、やはりずっと休んでいるとなると不安もありました。そんな私の不安を和らげるためか、子どもを奈良の保育園に口コミで入れるにはその時の担任の先生がわざわざ家までお見舞いに来てくれたのです。その時お見舞いにもらった絵本は何度も読み返し、今でも一番大好きな絵本になっています。そして、やっと保育園に通えるようになった時、ちょうど合奏の発表会の当日でした。もちろんずっと休んでいたので、楽器の練習も全くしていません。それでも私は、楽器を演奏する真似の身振り手振りを先生たちに教えられ、発表会の舞台に立つことになりました。すごく緊張したことを覚えていますが、何とかやり遂げ舞台から降りると先生たちがみんなで駆けつけてくれたのです。よくやったねと抱きしめてくれて、その時の光景が保育園生活の中で一番印象的な出来事となりました。子どもたちのことを一番に考え、不安に寄り添い、温かい笑顔で見守ってくれた先生たちのことをこれからも忘れません。